この記事は、耳にタコができても永遠と聞き続けられるFFの名曲をその日のノリと気分で雑多な思い出と共に紹介するという、おひまな企画である。到底一つの記事に収められる曲の量でなく、それでいて当然その日の気分というものがあり、だからこそ統一感のないプレイリストに仕上がっているが、それは御愛嬌というもの。まぁとにかくまずは曲をかけようじゃないか。
本日のプレイリスト
闘う者達 – 元ソルジャー : FFVII REMAKE
「闘う者達 – 元ソルジャー」はFF7 REMAKEの戦闘曲の一つ。なんだか変な名前なのはFFVIIのリメイク作品である本作では、原作の「闘う者達」のアレンジ曲がたくさん用意されているからであって、この曲もそのアレンジの一つだからであるからだ。そしてその「闘う者達」ズの中でも、もっと言えば同作の戦闘曲の中で、筆者の一番のお気に入りがこの「元ソルジャー」バージョンである。何故かというと、答えはシンプル、一番最初のバトル、すなわちオープニングと一番魔晄炉爆破作戦で流れる曲だからだ。FF7リメイクは知っての通り原作のミッドガル脱出までを再構成した作品であるが、その中でも私が一番盛り上がったのがこのオープニングであった。夜空の星の光が魔晄に変わり、エアリスを映しそこからカメラを引いてミッドガル全景をバックにロゴをドーンとアピール、そして元ソルジャークラス1st(…)クラウドが超カッコよく登場する。FF7の魅力が集約されたと言っても過言ではない素晴らしいオープニングである。しかもリメイク版では、そのオープニングからシームレスにクラウドの操作につながる!ここが本当に感動した。伝わるかわからないが、一番最初に見た時はプリレンダからリアルタイムレンダに映像が切り替わった事を全く気づかないくらいには圧倒されていた。(機関車の蒸気で画面が白転したところで映像が切り替わっているのが分かる)
曲の話に戻るが、元ソルジャー版の魅力はそのオープニング演出を盛り上げるイントロだろう。サビの短いフレーズを音程を挙げながら繰り返し、ちょうどバトルに入ったところで本来の戦う者達が流れ始める。私は音楽に疎いのでこういう技法みたいなものをなんというのかわからないが、とにかくこの時の高揚感といったらないね。リメイクシリーズ3部作目が発売したら、このオープニングからリメイク、リバースと通してプレイしたいものだ。
FFVII メインテーマ Battle Edit : FFVII REBERTH
REMAKEで前述の「闘う者達 – 元ソルジャー」に出会い、これ以上の戦闘曲はリメイクプロジェクトでは出ないだろうと思っていた。しかしその2年後、続編であるFFVII REBIRTHでそれを超える衝撃はやってきた…。それが「FFVII メインテーマ Battle Edit」である。この曲を聞いた最初の印象は、そう、なんというか、その少し詩的な言い方をするなら「春のそよかぜ」ならぬ「春の突風」にふっとばされたような感じである。とんでもない衝撃が頭の、心の、コントローラを握る手の中で起こったのを今も覚えている。
この曲もタイトルが示すように、FFVIIのメインテーマのアレンジ曲。もっと正確に言えばメインテーマと戦う者たちの間の子といった感じだろうか。ミッドガル脱出後のフィールドの開放感とバトルの緊張感、そして雄大な星の姿、そのどれもを音楽の中で表現しつくした名曲の中の名曲だと言える。リバースプレイ中、特に序盤はこの曲を聴くために、無駄に敵にちょっかいを掛けていたぐらいにはお気に入り。勿論クリア後も、そしてこの記事を書いている今この瞬間もこの曲を聴いている。先月にはPC版も発表されたが、この曲を聴くためにPC版も購入しようか悩むくらいには、今も尚この曲に魅せられている。願わくば、ミッドガル脱出後、地続きでこの曲を味わいたかったがそれはしょうがない。逆に一作にまとめてしまったら、リバースのあのボリュームは味わえなかっただろうし。
しかし、何度聴いても本当に素晴らしい曲だ。今ふと思ったが、リバースのキャラコンが前作であるリメイクと比べ、特にバトル面においては操作することに快感を覚えるレベルで劇的に向上したことが、この曲が名曲足り得る理由の一つなのかもしれない。リメイクのキャラコンはリバースを経験した後だとどうしても鈍重さを感じるし、その少しばかりのっそりとしたバトルのリズムにこの曲はあわない。筆者はリバースを(ある一点を除き)名作中の名作だと思っているが、その名作たりうる所以の一つがこの「メインテーマ Battle Edit」である。
降誕 : FFXIII
最後に紹介するのは「降誕」なんだか神々しい曲名だが、これはFFXIIIのラスボス「ファルシ=オーファン 第一形態」で流れる、いわゆるラスボス曲というやつである。「第二形態」で流れる「生誕のレクイエム」に話題を持ってかれがちのこの曲であるが、私はどちらかというと「降誕」のほうが好みである。「生誕のレクイエム」はやはりオプティマチェンジと連動した演出があってこそ輝く曲だと思う。(もちろんサウンドトラックで聴いても盛り上がる曲だが)
「降誕」については上で紹介した2曲と異なり、”曲そのもの”より流れた場面のほうが印象に残っている。戦闘曲でなくラスボス曲なので当たり前といえば、当たり前なのだけれど。まず唐突ではあるが、私は三部作コミコミで考えるならばFF13は結構好きな作品である。この発言の意味がわからない人のために解説すると、FF13は諸所の理由によりすこぶるが評判が悪い。主人公のチャーミングさ(?)と名曲の多さでなんとか若干プラスにはなっている(と思う)が、まぁ世間的な評価はあまり良くない。前述のように、私もFF13の続編、続々編をコミコミで「FF13サーガ」として考えるならば、そこまで悪い作品だとは思っていない。むしろ、よくある神様と人間のいざこざをSF×FFチックに仕上げた良作くらいには思っている。しかし、FF13単体でみると、まぁ少しばかり「なんだかなー」と思う部分がある。そして、その「なんだかなー」の最たるものが「ラスボスと戦う理由」である。一般的にRPGの主人公というのは世界を救うためにラスボスと戦うものである。たまに一人のためにすべてを滅ぼすヤツもいるが、まぁ大抵は世界を救う救世主である。しかし、FF13は違う、FF13のラスボスは世界に破滅をもたらす邪悪な存在ではなく、むしろ世界(コクーン)を支える核とも言える存在、つまりそれを破壊すると一般人達が大勢死んでしまうのである。しかし、こいつを倒さなければ主人公達は色々あって人でなくなってしまう。ここだけ聞くと主人公たちの命とその他大勢の命を天秤にかけたある種のカタルシスがあってよいのだが、実際の流れはこうだ。「奇跡が起こるはずだ。だから倒してしまおう」実際にはその前後に色々とあるのだが、要約すると、というかまんまこうである。そしてラスボスを倒すと本当に「奇跡」が起こり、主人公達もとりあえず死ぬことはなく、その他大勢の一般人も助かった!ハッピーエンド!。こんなに口がぽっかり開いたエンディングは後にも先にもFF13だけだ。一応、続編でその「奇跡」について説明がなされるのだが、FF13本編ではなんの説明もなく、ただプレイヤーには「奇跡」が起こったとしか理解できない。(よくよく読んだり、見たりすれば分かるのだが、それも続編、あるいは設定集ありきの説明だ)シナリオ終盤はジェットコースター的な展開と演出のオンパレードで「これまでの旅は全部ラスボスの思い通りだったのかー」とかそれこそ「あ、言ってなかったけどラスボス倒すと一般人死んじゃうからね、どうするのー」とかすっごく面白いのに、最後の最後で論理性を全く放棄した「奇跡」が出てくるので本当にもったいない。FF13-2の隠しエンディングみたいな感じで「解説」があればまた違ったんだろうが、それもない。ラスボスそのものは見た目も非常にラスボスしていて、攻撃も固有名詞ばっか、さらにBGMもコーラスもりもりの「降誕」と、盛り上がりの絶頂を迎えるのだが、どうにもこうにも「奇跡」がね。