【休学】私が休学を決めた理由とその意味

この記事は「私が休学を決意したきっかけと休学の意味あるいはテーマ」を書いたものだ。記事にした理由の半分は「なんでこいつ休学したの」という疑問にお答えすること、もう半分は初心を忘れないための自戒的な意味を込めている

本文は「なぜ休学するのかというWhy」と「私の休学の意味とはというWhat」という二部から構成されている。

目次

これまでの”大学生活”

それではさっそく私の大学生活を追いかけながら”なぜ休学するのかというWhy”について見ていこう。

待ってろォキャンパスライフゥ

令和3年4月、私は大学に進学した。

私が進学した大学は、別に特段優れてるわけでもなく、かといって悪いというわけでもなく、地元なので新鮮味もないというデフォルトアバターのような大学だ。しかし、大学進学というのは人生のとっても大きなイベントの一つであるので私はそれなりに楽しみにしていた。

しかし、そんな私の目に飛び込んできたのは「全科目オンライン授業ですよ」という学校からのメールだった。

当時はコロナパンデミックの真っ只中。日本中の多くの学校がオンライン授業を余儀なくされ私の学校もまたそうだった。しかし、「どうせすぐ終わるだろう」と物事を楽観視する癖がある私は、あまりこのことを大事に考えていなかった。

このオンライン授業が悪夢の始まりになるとはこのときの私は知る由もなかったのである。

私にとってパソコンの画面上で行われる大学生活は退屈でしょうがなかった。駄弁る友人も落書きをするはずの教科書のそこになかったのだから、当然といえば当然かも知れない。

こんなことを書くと「学びをなんだと思ってるんだ」という人もいるかもしれない、てか絶対いる。
まぁそれも一理あると思うんだけれど、私個人としては”学校とは勉強ができる場所であって勉強をし続ける場所ではない”と思っている。ずっとつめつめで勉強する環境より、適度にブレイクできるほうが絶対いい。

中高生の時を振り返ってみても、授業内容はもちろんのこと先生が教科書をボソボソ読んでいるだけで生徒は寡黙にノートを取り続けるような読んでるだけで眠たくなるような授業より、先生と生徒がちゃんとコミュニケーションを取れてなおかつ笑える授業のほうが授業中のクラスの雰囲気、先生の顔とか細かいところまで記憶に残っていると思う。(受験期はまた別の話)
ただ、私が勝手に思っているだけだし特段優秀でもないヒトの考えなので、もちろん100%正解とは言えないと思う。が、一応曲がりなりにも15年学生をやってきた人間が導き出した結論であるのであながち間違っていないんじゃないだろうか?

そして、大学3年生になった今就職活動というこれまでの私の人生史上最大の選択が私の前に急に立ちふさがった…「あれ、話飛んでね?」と思われたかも知れない。しかし、これは構成ミスでも添削ミスでもない。これが私のこれまでの大学生活のすべてなのだ。

「    」 

そう、私の大学生活は「  」だ。まぁ、極めて細かく言うのならドローンの資格をとったのだけれど、ミクロサイズまで分解してもこれしか出てこない。2年半も在籍していたにもかかわらず、私は何も成し遂げられていない。

というのも、「すぐ終わるだろう」と思っていたオンライン授業は延期に延期を重ねなんと3年の春まで続いたのである。2年もの間、ほとんど画面上でキャンパスライフを送ったわけだ。

とはいえ、コロナ3年目の就職活動では「コロナだから何も出来ませんでした」という言い訳は通用しない。いや、ある程度までは通用すると思うのだけれど、言い訳のメインディッシュとしては少々弱い。それにコロナ禍でも「何かをやっている人はやっている」からだ。

起業した先輩もいたし、きちんと勉強して留学にいった人だっていた。交友関係がただでさえ少ない私の周りでさえこんな人がいるのだから日本中見回したらもっと、もーーーーーーっとたくさんいるのだろう。
そういう「何かを成し遂げた」人たちと「  」の私は「今後の人生をある程度決定してしまう就職」で戦わねばならない。

就職活動

半生と反省

就職活動で最初にやるべきことはなんだろうか。セオリーに乗っ取るならば面接対策のための自分史作成だろう。私もそれに従った。
自分史とは文字通りこれまでの人文の半生を書き出していくという作業なのだが、これがなかなかに楽おもしろい。幼年期、小学校、中学校、高校と自分の過去を書き出していくと、時に楽しく時に悲しい思い出たちが、たまにすこしの甘酸っさを添えて香ってくる。「こんな事もあったな」とか「あいつ何してるかな」とか20年という短い時間ながらもいろんなことがあったらしい。


そして、締めくくりである大学の欄で、今まで花畑の蝶々のように流麗に可憐に動いていたはずのペン先が固まった。まるで思い出がないのだ。頑張ったことも、苦しかったこともなにも無い。それがなければ自分史を元に作成するはずのガクチカも自己PRも出来やしない。まぁ高校中学のエピソードでも出来ないことはないのだけれど、やはり大学でのエピソードが合ったほうが説得力は増すし何より印象が良い。頭が痛くなるほど絞って1つひねり出すことは成功したのだが…

選考と絶望

苦し紛れに書いた拙い文章は、本格的な就職活動の第一歩「夏季インターンシップ」で脆く崩れ去った。

一応、就職活動を始める時期は他に比べて早い方だったので早期選考会に申し込むことが出来た。GDは難なく突破することは出来たもののそれ以降の面接はボロボロだった。

そりゃそうだ、何もしてこなかったんだから。何を言ってもエビデンスがないんだもの。そんな私に比べて他の学生たちは優秀だった。何を聞かれてもハキハキ答えていて、私と同じ期間の大学生活を送った人とは思えなかった。

私には武器がなかった。

武器を作る材料すらなかった

剣を振るにはどうすれば…

最後の剣

夏季インターンシップ選考で爆散した私だったが、まだ少しばかりの時間は合った。なので「本選考までの数カ月間、今からなにか初めてみようかしら?」とも思ったのだが、ほんの数ヶ月の付け焼き刃が他の学生らが持つ真剣に敵うはずもない。

それに当たり前のことだが、この先の人生を左右する就職活動にそんな”なまくら”で挑んでいいのかという気もしてきた。

また就職活動のその先にある、自分が何をしたいのかどんな人物になりたいのかという人生のテーマみたいなものも未だ不明瞭だ。

色々やるための、色々はじめるための余分な時間はもう既になかった。

時間がほしいな…

どこかに落ちてないかな…

___「休学」___

…あ、落ちてた

私の休学の意味

ここからは”私にとって休学とはというWhat”について書いていく。

「逃げ」と「ゆめ」

ここまで読んでいただけた人は察しがついていると思うが、私の休学の意味するところの一つ側面は「逃げ」である。2年という貴重な時間を無駄に浪費してしまった阿呆の逃避先が休学であった。あんまり良くないことだとは思うが疑いようもなくそうなのだから仕方がない。

しかし、それと同時に私の休学は「夢」という側面を持っていたりもする。

「夢」は人生のテーマと言っても過言ではない。誰でも持つことが出来るし初期費用もかからない。なんてすばらしいんだろう。しかし、今の私はこれといった夢がない

小さい頃は、巨大ロボットを作りたいだの、考古学者になるだの、いろんな夢がふつふつと湧いてきたものだが近頃はさっぱりだ。

年々悪化する理想と現実の乖離」が原因だと自分では分析しているのだが、それにしてもここ数年は乱視が酷い。遠ざかっていく理想の私像だけでなく、今の自分の輪郭すらもぼやけてきた気がする。「今の私に何があって何がないのか?」今の自分の形すら見えていないのにその延長線上にある「夢」が見えるはずもない。にもかかわらず、夢の締切は着々と迫っている。

ならば、締切を延長すればいいじゃない。

つまり「自分と夢を知るために締切を伸ばしてもらった猶予期間」これが私の休学のもつ「夢」の側面である。

終わりに

以上が私の休学理由と意味だ。「休学理由とその意味」と書くと大層なものに見えるが、私の休学はこの通り「逃げ」と「自分探し」という至って平凡なことに収束している。

このブログでは、これからそんな私の休学記を発信していく。休学を検討している人の参考になれば幸いだ。

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